ANA国内線【PR】
takのブログ
taknewcen.exblog.jp

今の自分の気持ち

by tak-newcentury21
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
最新のコメント
Awesome Blog..
by Milf Soup at 21:15
Thanks mate...
by BedeEphefleda at 00:03
Hi ..
by Blooldshisy at 18:29
Aloha!
by compra_viagra at 01:24
Aloha!
by compra_viagra at 01:24
Hello!
by compra_viagra at 01:14
Aloha!
by compra_levitra at 01:14
Hi ..
by Rotlaketefulk at 16:47
Hello!
by compra_viagra at 15:14
Aloha!
by compra_levitra at 15:14
メモ帳
最新のトラックバック
Free handjob..
from Free handjob m..
Torture rack.
from Nipple torture.
Oxycontin.
from Oxycontin.
Buy adderall.
from Buy adderall.
Buy vicodin ..
from Vicodin.
Buy no phent..
from Buy phentermin..
Buy percocet.
from Where to buy p..
Online pharm..
from Oxycodone.
Cheap zolpid..
from Zolpidem.
Meloxicam.
from Meloxicam.
ライフログ
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
XML | ATOM

skin by excite
カテゴリ:輝こう!シニア・シティズン
  • 福島県は心のふる里
    [ 2011-05-04 13:32 ]
  • Do Not Squander Time!
    [ 2010-07-09 10:51 ]
  • It Is Just Not Cricket To Make Excuses
    [ 2010-04-27 09:20 ]
  • 今、問われるリーダーシップとは何か?
    [ 2010-02-04 13:43 ]
  • ラグビーで伸び伸び交流の輪
    [ 2009-12-08 16:51 ]
  • 沖縄ー琉球王国の歴史を、日本は繰り返していいのか?
    [ 2009-12-04 21:26 ]
  • 総理は「友愛精神」と「競争原理」を両立させよ
    [ 2009-11-29 15:59 ]
  • 後期高齢者の道標
    [ 2009-10-01 09:23 ]
  • 老後を健康で楽しく生きるために!!
    [ 2009-08-19 15:22 ]
  • 国民年金制度の今昔
    [ 2009-03-26 09:27 ]
福島県は心のふる里
 あなたのふる里はと、聞かれるたびに、その答えに戸惑ってしまう。先ずは出生地でもあり現在も住んでいる大阪府岬町。次に三歳から小学三年夏まですごした東京ですが、ここに住んでたゆえに、政府の強制で学童集団疎開を余儀なくされた福島県も、私にとっては大切な心のふる里なのです。

 大都会から自然豊かな福島県(信夫郡土湯村ー現福島市土湯温泉町)へと、これまでの生活環境が一変してしまう経験しました。特に一日が始まる朝の洗顔を、宿舎の近くを流れる清流でしたことは、今でも顔を洗う際にときどき思い出します。

 さて東日本大震災後、天皇、皇后両陛下が宮城県三陸町を訪問、被災者を見舞われました。両陛下が東北の被災地に入られたのは初めて。「心に痛みを負った子どももいるでしょうね」、「子どもたちのために頑張ってください」などとはげまされました。

 両陛下は福島県には足を運ばれていませんが、この記事をみて67年前の昭和19年、当時の皇后陛下から賜った歌を思い出しまた。
       皇后宮御歌  疎開児童のうへを思ひて
 つきの世をせおふへき身そたくましく たたしくのひよさとにうつりて

 東京大空襲で、両親や兄弟は命だけは助かったものの、家屋は全焼との知らせが疎開先に届いたのは、かなり日にちがたってからでした。しかし家族全員が無事であったのもつかの間、その後のアメリカ軍の執拗な爆撃で父は爆死、広島・長崎への原爆投下でやっと戦争が終わりとなったのです。

 戦後、母の手一つで育てられる事になるのですが、皇后宮御歌や母の子どもを思う気持ちに励まされ支えられて、今日まで頑張ってこれました。どうか福島県をはじめ、東北被災地のみなさま明日に希望を持ち、次の時代を担う子どもさんたちを大切に育ててあげてください。
by tak-newcentury21 | 2011-05-04 13:32 | 輝こう!シニア・シティズン
Do Not Squander Time!
 岬町はこれまで行財政改革を進めてきたとは言え、まだまだ道半ば。これから本格的に取り組まねばならない問題が山積みされている。「改革は乾いた雑巾から水を絞り出すぐらいの努力が必要」と、たとえるぐらい苦しみを伴う。さてどのくらいの人達が、このことを理解しているか? 行政・議会・住民いずれの側を見渡しても、そんなに多くはいるとは思えない。

 平成22年度当初予算が決まり、一般・特別・企業会計の総額122億円、うち一般会計61億円、対前年度比が3.6%と2.5%の減額は、現状の歳入状況からすれば妥当な額と思う。
しかしこれは住民に対する行政サービス低下に、つながることは明白である。
 そうかと言って町債をこれ以上増やし続ければ、遠からず赤字再建団体に陥りかねない。
21年度末で94億円の町債残高を、22年度末までに90億円に減らす予算案は当然だが、このことをもっと住民に周知徹底することが大切である。いずれにしても行財政改革の痛みを乗り越えた後に、豊かで安心して暮らせる町の将来ヴィジョンを、明確に打ち出すことが必要である。

 一般的な傾向として、このような委員会に有識者や専門家を招き、話を聞くことがよくあるが、セオリーどおりの話しが多く、依頼先の実情にあった現状分析は皆無に等しい。聞くほうも「言われる通り」とうなずくだけで、その後の進展は殆ど見られない。
今回は自分がこれまでに経験した改革の痛みや苦しみ、また現在活動している具体的な行動を話すことで、少しでも岬町行財政改革に役立てればと思い応募した次第です。

 ここで2,3の提言をするなら・・・・・
1)路線バス対策事業費(4,200万円)を当初目標5%削減、これは乗車率を上げることだが、実現にはそれなりの対応が必要で、例としては行革の成果を挙げた土光敏夫氏(臨調)を見習う。
2)全国的な見地で、行財政改革の成果を挙げている自治体へ、ある一定期間を定め職員を現場研修に行かせ、そこで行政・議会・ボランティア団体・住民の連携プレイをつぶさに勉強するとともに、その成果を岬町でも必ず発揮させる。
3)自身の具体的行動と将来ヴィジョンについてだが、8年前に国際交流活動講座を一年間受講し、大阪府知事の認定書を取得、現在は岬町国際交流サークル・阪南市日中友好協会・阪南市国際交流協議会・ミャンマーに学校を建てる会等で、国際交流活動を続けている。この経験を生かし、将来は岬町に多くの外国人に来てもらい、町の活性化を図る。少子化現象のつづく我国では日本人だけでなく、外国人招致が重要課題であり、多くの観光資源を有するわが町を、国際平和観光都市としてよみがえらせることが、私の将来ヴィジョンです。
 
by tak-newcentury21 | 2010-07-09 10:51 | 輝こう!シニア・シティズン
It Is Just Not Cricket To Make Excuses
現内閣において、首相をはじめ各閣僚の国会答弁や報道会見で、「前政権の負の遺産を引き継いでいるので」をよく耳にする。これも野党や報道陣の鋭い質問攻めをかわすための一つの手段かもしれない。

 経済界ではどうか、最近ではJALの再建をはかるために、高齢であるにもかかわらず会長を引き受けたI 氏。その再生の道筋はまだまだ見えてこないが、決して「前経営陣の負の遺産が無限大だから」と、口にすることはない。

 前者は政権を手中に収めたくてなったリーダーであるのに対し、後者は自ら買って出たポストでなく、多難な役目だが日本のためと、身を賭して引き受けたのである。どちらがリーダーとしての資質を備えているかは、あえて説明するまでもない。鳩山首相をはじめ、各閣僚たちの弁解がましい発言は、はなはだアンフェアーである。

 自公政権で規制改革会議の議長を務めたK氏は過日の新聞紙上で、マンデラ南ア前大統領のリーダーとしての資質を高く評価し、これに対し鳩山首相に欠けているものはこれだ、と。実話をもとに描いた映画「インビクタス・負けざる者たち」を見て、はたと思ったと、解説している。

 そのヘッドラインは、「政敵の遺産を生かす度量」とし、白人統治のアパルトヘイト(人種隔離)政策に終止符が打たれた後も、新政権への白人の登用もいとわない。ラグビーワールドカップ決勝戦では、白人の主将と同じ背番号のジャージーを着て、声をからす大統領の姿があった。4千万国民の心を一つにする命題を前にして、旧政権も新政権もないという思いがひしひしと伝わってくる。

 「過去をすべて排除するのではなく、旧政権の知見も生かしながら自らの政治信条を貫いた」と。これに引きかえ、その度量が日本再生への責任を負う鳩山首相に感じられないと、論評している。
by tak-newcentury21 | 2010-04-27 09:20 | 輝こう!シニア・シティズン
今、問われるリーダーシップとは何か?
    ◎インビクタス=負けざる者たち
 この映画は、ネルソン・マンデラ元南ア大統領を描いた作品。27年もの投獄を経て初の黒人大統領に選ばれ、アパルトヘイト政策を乗り越えて現在の南アの礎を築いた人です。
就任翌年の1995年、南アで開かれたラグビーワールドカップの実話を基にした物語です。

 映画ではマンデラ氏とラグビー南ア代表チーム主将フランソワーの2人のリーダーシップが描かれています。いちばん感動したのは、マンデラ氏がそれまで自分たちを迫害していた相手を赦すことで国を一つにまとめていく姿です。マンデラ氏自身がその手本を示すことで次第に周囲を感化していく。

 リーダーが率先垂範することの大切さは、どんな分野にも共通するでしょう。日本や世界で指導者のあり方が厳しく問い直されている今だからこそ、考えさせられる映画です。

 もう一つ、この映画の見どころは、ラグビーというスポーツを題材にワールドカップ優勝という共通の目標に向かって高まっていくチームの結束力を描いているところです。
映画ではマンデラ氏が大統領執務室にピナール主将を呼んで、ワールドカップ優勝へ向けて使命感を喚起する場面があります。

相手のモチベーションを高めて、持っている力以上の力を引き出すのはリーダーの重要な役割です。そのあたりのやり方やメッセージの発信が、マンデラ氏はとても巧みに見えます。おそらく投獄されていた27年の間、自分の中で解放後のグランドデザインを描き続けていたのだと思います。長い年月を積み重ねて思考した結果の行動だったという気がします。(以上の文の多くは日経新聞の広告欄から転載しました)。

 日本の政治家たちのリーダーシップ欠如が問われる昨今、彼らがこの映画とラグビー精神から学ぶべきことは大であると思います。
◎Hatoyama and Ozawa may know nothing about rugby. But for us - it is still rugby.
by tak-newcentury21 | 2010-02-04 13:43 | 輝こう!シニア・シティズン
ラグビーで伸び伸び交流の輪
  ◎努力すること四半世紀、いま大輪の花咲く岬ラグビー
 ブログを書くのに何か参考になる記事がないかと、スクラップブックに目を通していたところ、27年前の読売新聞泉州版の記事を見つけた。ヘッドラインは「伸び伸び交流の輪」、結成5年大きく育った岬ラグビースポーツ少年団。(以下は新聞記事より)。

 岬町の小学生のラグビーチーム「岬ラグビースポーツ少年団」が結成されて五年目を迎えた。団員は計九十人と六倍にふくれ、同町周辺の小学生もどんどん加入し、子どもたちの交流の場になっている。チームは団長の田中孝之氏・コーチの早瀬節氏・竹中雅一氏・森忠之氏ら四人によって、五十七年四月にできた。当時、府下には、小学生ラグビーはわずか十チーム。いずれも大阪市内か、府北部に集中、高校のクラブでも、泉州地区にはラグビー部がなかった。

 「府南部はラグビー不毛の地」と言われていたのを返上するのが田中さんの狙いだった。結成当時は和歌山市内のチームと対戦したが、歯が立たなかった。だが、一年生でも試合にでられるというのでメンバーが増加。いまでは一~六年生まで、学年ごとにチームを組めるようになり、毎日曜日の午前十時から二時間、モールやタックルの練習に汗を流している。コーチは岬町田中氏・泉南市竹中氏、森氏と岸和田市早瀬氏の計四人。二チーム掛け持ちの指導に当たることもしばしばで、それでもいまの六年生は、二年前に秋の府下地区大会で優勝、今年も活躍が期待されている。

 メンバーは淡輪小の児童ばかりだったのが多奈川小、深日少からも加入、学校間で親睦を深めている。このチームの活躍ぶりに刺激を受けて、三年前には田尻町、今年は堺市でもチームが結成され、府南部の少年リーグ戦もできそうな勢い。田中さんは「よくここまで育ってくれた。子どもたちが伸び伸びと試合し、積極さと明るさを身につける場にして行きたい」と五年間を振り返っている。(以上新聞記事より)。                      

最後になりましたが、この二十七年間に、多くの指導者・父母会の方々・岬中学クラブ顧問の先生方など、沢山の関係者のご尽力とご指導により、数多くの優れた選手が育ち、現在、高校・大学で活躍しています。他方ある時点で選手生活に区切りをつけ、勉学や仕事に精励されている方も沢山います。どのような環境での活動であっても、『岬ラグビースポーツ少年団』で培ったラグビー精神を忘れずに、自分自身の人生を逞しく歩まれることを心から願っております。(現TNK平和探究センター 田中孝之)
by tak-newcentury21 | 2009-12-08 16:51 | 輝こう!シニア・シティズン
沖縄ー琉球王国の歴史を、日本は繰り返していいのか?
 沖縄は昔、琉球諸島地域の別称で、古くは「阿児奈波」または「南島」と呼んだ。15世紀統一王国が成立、日本・中国に両属の形をとっていたが、17世紀初頭島津氏に征服され、明治維新に琉球藩を置き、1879年に沖縄県となった。

 いま日本政府は沖縄の基地問題で右往左往している。普天間基地の県外、国外移設を主張する社民党、これを後押しする国民新党。連立3党合意がなければ、どうにもならない鳩山政権。加えて小沢幹事長が仕掛ける次なる政局「夏の陣」の影がちらつく。

 沖縄基地問題解決方法いかんによっては日米安全保障、特に日本側にとってその将来を左右しかねない大きな問題へと、発展する可能性がある。かりに普天間基地が国外へ移転となれば、その後の米軍再編問題にも影響が出て、アメリカの北東アジアでの軍事的影響力は弱まるだろう。代わって中国のこの地域での存在感は高まるはずである。

 急速に進む少子高齢化、デフレスパイラルに陥る経済、この結果がもたらす産業の海外移転と優秀な人材流出。残るのは高齢者と無気力な若者たち、明らかなる衰退国家への転落。こうなった時日米安全保障条約が、堅持されるどうかはなはだ疑問である。裏を返せば日本はアメリカにとってさほど重要なパートナーでなくなる。

 とは言うものの太平洋上にある島国日本は、米中にとっては軍事的な面でおたがいに必要なことも事実である。かって琉球王国が日本・中国に両属したように、今度は日本が米国・中国の双方に顔をむけながら、主体性を欠いた国としての道を歩まなければならなくなる。

 これ以上沖縄県民に負担をかけず、米軍の軍事戦略的展開にも支障をきたさないためには、中京地区以西の候補地を早急に決める必要がある。おそらくどこの府県も反対することは確実、しかしここが政治主導を標榜する現政権の手腕の見せ所。後世に悔いを残すような最悪のシナリオだけは画かないよう願ってやまない。
by tak-newcentury21 | 2009-12-04 21:26 | 輝こう!シニア・シティズン
総理は「友愛精神」と「競争原理」を両立させよ
 日本と欧米の寄付や募金に対する認識の差、いわゆる文化の違い、これは昔から言われていること。アメリカのロックフェラーは石油事業で財を築き、引退後はロックフェラー財団を組織して、教育・学術・慈善などの公共団体に多額の寄付をした。オードリー・ヘップバーンはベルギーの貧しい家の生まれだが、大いなる努力の結果、世界的な大女優として名をなした。その後はオードリー・ヘップバーン子ども基金を設立、ユニセフと協力して、「すべての子どもたちに学校を」を提唱。この支援のための合同事業は彼女の死後も続けられている。生前は特にアフリカへ、よく足を運んだといわれている。

 日本に寄付や募金で、こうした人達に引けを取らない方もいるにはいるが、総体的には意識の低さは免れられない。今、政治資金問題で話題になっている鳩山首相、実母はタイヤメーカー「ブリッジストン」創業者の長女(同社の大株主でもある)、この実母の資産は鳩山家の資産管理会社「六幸商会」が管理している。これだけの大富豪であれば、すでに慈善事業などにも多額の寄付はしていると思うのだが。首相が「友愛精神」を信条とするのならば、その支援活動も国民に知らしめたらよいのではないか。

 多額の資産を有する政治家たちのなかでも、その額で群を抜く鳩山首相は、政治資金疑惑を国民にどう説明しようとしているのか。「友愛精神」・「格差是正」などいかにも庶民の味方に立っての耳さわりの良い言葉だが、池田元首相の「貧乏人は麦飯を食え」に奮起し、歯を食いしばって自力更生に励み、白米の飯が食えるようになった世代(もちろんこの時代と現代の間には政治・経済などの背景差はある)には、現首相の発言は「お坊ちゃまのたわごと」にしか聞こえてこない。

 すべての面で活力を失っている日本、これを取り戻すためには「仲良しクラブ」の発想から抜け出し、首相自ら国民が努力し、競い合うことの大切さをもっと語ってほしい。
 
by tak-newcentury21 | 2009-11-29 15:59 | 輝こう!シニア・シティズン
後期高齢者の道標
 「後期高齢者」のネーミングに対し、異議を唱える人達が沢山出てきている。誰しも自分に残された貴重な余生、その集大成の時期を実年齢によって、一方的・かつ画一的に区分されることには反発を感じるものだ。まして社会全体が「元気で長生き」が合言葉になっている時だけに、対象者にとっては「まだまだこれからだ」と思っている矢先、十派一からげ的な年代区分に、ブーイングが出るのも当たり前である。

こちらは40代半ばに、「老後への助走」に関するテーマに興味をもち、そのことの勉強もしてきた。そして定年退職後に企業人間から地域社会へ、どうやって上手に溶け込むかを、それなりに考え準備をしてきた。それには先ずは死ぬほど好きな趣味を持つこと、これを地域社会で生かす方法をみつける。

 そこでいくつかある中で選んだのがラグビー、幸い地元少年ラグビーチームは指導者も少なく、このお手伝いができる機会が早速やって来た。40から50代にかけて、休日に子どもたちと楕円のボールを追いかけ、楽しい時間を過ごすことで、大いに気分転換を図ることもでき、これが仕事の面でも随分とプラスになった。

 子どもたちを指導するノウハウを、この時に多少なりとも身につけたお陰で、定年退職後には、小学生を対象にした課外学習の講師を引き受けることになり、今でも「国際理解教室」のテーマで子どもたちと向き合っている。

 「老後への助走」に始まり、「ゴールラインへ向かって完走」を日頃から考えてきた甲斐があって、そのプランは順調に進行中である。自画自賛と言われそうだが、これが元気で長生きできるエネルギーを、私に与えてくれる最適な方法と信じている。

 それは4年毎に開催されるラグビーワールドカップ観戦旅行であり、2003年オーストラリア、2007年フランス大会でその楽しさを充分に味わってきた。観戦中の臨場感はもとより、大会期間を通じて世界のラグビーファンとの出会いがあり、言葉では言い表すことのできない友情と感動を与えてくれる。

 2011年ニュジーランド大会、2015年イギリス大会は前回、前々回と同様に現地へ行って存分に楽しみたいと思っている。そして「2019年日本での開催決定」、夢にまで見た自国での応援観戦は、正に「第4コーナーからの完走」をやってのけるのには、最も相応しい最高の舞台装置でもある。日本代表チームの活躍を大いに期待している
by tak-newcentury21 | 2009-10-01 09:23 | 輝こう!シニア・シティズン
老後を健康で楽しく生きるために!!
 学生時代陸上競技部に所属していたが、時間を見つけてはラグビー部の連中に楕円球のパスやキックの手ほどきを受けていました。会社勤めをするようになり暫らくして、本格的にラグビーに魅せられ、草ラグビーとは言え地域のクラブで、随分と熱心に練習に励んだものです。

 そのうちに、このチームの人達が少年ラグビーの指導もするようになり、それで私も指導者としての講習を受けました。そんな訳で休日には子どもたちと楕円球を追いかけることになり、50歳半ばまでの15年間は指導書や練習日誌を携えて、休日の殆どを子どもたちと一緒に過ごすようになりました。
選手としてはさしたる成果は出せませんでしたが、少年たちの指導者としては自分なりに、納得の行く結果を挙げることができたと思っています。

 私の指導する岬ラグビースクール5年チームが、府下で最強を誇る大阪ラグビースクールと初めて対戦したのが、この子たちがこれまでの5年間の好成績で、ようやく自信が持てるようになった頃。だが相手の中に際立ったプレーをする選手が一人いて、特にトライを取る嗅覚は天才的ものがあり、結局は6年生までの2年間、彼をマークしきれなかったことで、最終的には1勝2敗の成績でした。この3試合のビデオは今も時々見ています。

 この選手こそがこの10年間、日本代表のウイングとして世界のピッチを駆け回り、多くのラグビーファンを熱狂させてくれた大畑選手なのです。子どもたちの対戦相手の選手としての出会いだけでしたが、いつの頃からか彼の大ファンとなっていきました。

こんな訳で2003年のオーストラリア大会の観戦に出かけ、対スコットランドと対フランス戦の2試合をタウンズビルのファーマースタジアムで応援、彼をはじめ日本代表選手の活躍を目の前で見ることができ、本当に至福の8日間をオーストラリアで過ごすことができました。

2007年のフランス大会も観戦に行きましたが、大会前の練習で彼が怪我をしたため戦線から離脱、その疾風のようなトライを見ることができず残念でした。でもウエールズ戦では小野沢選手の華麗なるトライ、フィジー戦の大西選手の同点ペナルティキックなどは見事でした。

次の2011年ニュージーランド大会では、その8年後の2019年に開催される日本大会をより盛り上げるためにも、日本代表には是非予選リーグで2勝はしてもらいたいものです。カーワンジャパンに期待すると共に、大畑選手のカムバックを願うラグビーファンです。
by tak-newcentury21 | 2009-08-19 15:22 | 輝こう!シニア・シティズン
国民年金制度の今昔
 国民年金や医療制度の原型ができたのは高度成長と生産年齢人口の急増が重なった1960年代だとされる。そういえば次のような感謝状を各都道府県の知事からもらった人は全国で少なくない筈である。
               感  謝  状

 ○ ○市( 町、村 )未亡人会(現母子福祉会)   桜  梅子 殿
あなたは困難な諸情勢下にもかかわらず、常に積極的にその事業の推進に当たり、国民年金制度の発展に寄与されました。よってその努力に対し感謝の意を表します。

               昭和43年(1968年)11月28日
                  ○ ○府知事   松竹 太郎

 あれから50年以上が経った現在、経済危機と人口危機の二つの深刻な危機が公的年金、医療財政、雇用市場を直撃している。上記の感謝状をもらった人達の殆どは他界されているはず。この当時は現在のように、女性の働き場所は多くあったわけではない。毎日の生活に困窮しながら、この事業の普及に努めた。

 これら女性の夫のなかには先の大戦で戦死したか、軍需工場や炭鉱での強制労働が原因で、病死した人達が少なくない筈である。だがこの制度を企画立案し、実施してきた厚労省の役人や年金記録のでたらめな処理をした社会保険庁の職員は、この制度普及のため生活苦に耐えながら、日々努力してきたこの人達への思いやりが少しでもあるのだろうか?

 その上に政治の統治能力が働かず、官僚による年金積立金の無駄遣いを見過ごしてきたばかりか、積立金で建てるホテルなどハコモノを、自らの選挙区へ積極的に誘致してきた政治家も多くいた筈。

こんな馬鹿げたことがあっていいものかと思いつつブログを書いているが、ときどき国民年金を受給している高齢者の方々から、「あの時、あなたのお母さんから国民年金加入の誘いを受け、入っていて良かった」と感謝の言葉を受ける時がある。母が生前に少しでも人様のお役に立てたことを嬉しく思うと同時に、何事も気長く草の根の活動を続けることの大切さを再認識しているところです。
by tak-newcentury21 | 2009-03-26 09:27 | 輝こう!シニア・シティズン