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今の自分の気持ち
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2009年 12月 08日
◎努力すること四半世紀、いま大輪の花咲く岬ラグビー
ブログを書くのに何か参考になる記事がないかと、スクラップブックに目を通していたところ、27年前の読売新聞泉州版の記事を見つけた。ヘッドラインは「伸び伸び交流の輪」、結成5年大きく育った岬ラグビースポーツ少年団。(以下は新聞記事より)。 岬町の小学生のラグビーチーム「岬ラグビースポーツ少年団」が結成されて五年目を迎えた。団員は計九十人と六倍にふくれ、同町周辺の小学生もどんどん加入し、子どもたちの交流の場になっている。チームは団長の田中孝之氏・コーチの早瀬節氏・竹中雅一氏・森忠之氏ら四人によって、五十七年四月にできた。当時、府下には、小学生ラグビーはわずか十チーム。いずれも大阪市内か、府北部に集中、高校のクラブでも、泉州地区にはラグビー部がなかった。 「府南部はラグビー不毛の地」と言われていたのを返上するのが田中さんの狙いだった。結成当時は和歌山市内のチームと対戦したが、歯が立たなかった。だが、一年生でも試合にでられるというのでメンバーが増加。いまでは一~六年生まで、学年ごとにチームを組めるようになり、毎日曜日の午前十時から二時間、モールやタックルの練習に汗を流している。コーチは岬町田中氏・泉南市竹中氏、森氏と岸和田市早瀬氏の計四人。二チーム掛け持ちの指導に当たることもしばしばで、それでもいまの六年生は、二年前に秋の府下地区大会で優勝、今年も活躍が期待されている。 メンバーは淡輪小の児童ばかりだったのが多奈川小、深日少からも加入、学校間で親睦を深めている。このチームの活躍ぶりに刺激を受けて、三年前には田尻町、今年は堺市でもチームが結成され、府南部の少年リーグ戦もできそうな勢い。田中さんは「よくここまで育ってくれた。子どもたちが伸び伸びと試合し、積極さと明るさを身につける場にして行きたい」と五年間を振り返っている。(以上新聞記事より)。 最後になりましたが、この二十七年間に、多くの指導者・父母会の方々・岬中学クラブ顧問の先生方など、沢山の関係者のご尽力とご指導により、数多くの優れた選手が育ち、現在、高校・大学で活躍しています。他方ある時点で選手生活に区切りをつけ、勉学や仕事に精励されている方も沢山います。どのような環境での活動であっても、『岬ラグビースポーツ少年団』で培ったラグビー精神を忘れずに、自分自身の人生を逞しく歩まれることを心から願っております。(現TNK平和探究センター 田中孝之) 2009年 12月 04日
沖縄は昔、琉球諸島地域の別称で、古くは「阿児奈波」または「南島」と呼んだ。15世紀統一王国が成立、日本・中国に両属の形をとっていたが、17世紀初頭島津氏に征服され、明治維新に琉球藩を置き、1879年に沖縄県となった。
いま日本政府は沖縄の基地問題で右往左往している。普天間基地の県外、国外移設を主張する社民党、これを後押しする国民新党。連立3党合意がなければ、どうにもならない鳩山政権。加えて小沢幹事長が仕掛ける次なる政局「夏の陣」の影がちらつく。 沖縄基地問題解決方法いかんによっては日米安全保障、特に日本側にとってその将来を左右しかねない大きな問題へと、発展する可能性がある。かりに普天間基地が国外へ移転となれば、その後の米軍再編問題にも影響が出て、アメリカの北東アジアでの軍事的影響力は弱まるだろう。代わって中国のこの地域での存在感は高まるはずである。 急速に進む少子高齢化、デフレスパイラルに陥る経済、この結果がもたらす産業の海外移転と優秀な人材流出。残るのは高齢者と無気力な若者たち、明らかなる衰退国家への転落。こうなった時日米安全保障条約が、堅持されるどうかはなはだ疑問である。裏を返せば日本はアメリカにとってさほど重要なパートナーでなくなる。 とは言うものの太平洋上にある島国日本は、米中にとっては軍事的な面でおたがいに必要なことも事実である。かって琉球王国が日本・中国に両属したように、今度は日本が米国・中国の双方に顔をむけながら、主体性を欠いた国としての道を歩まなければならなくなる。 これ以上沖縄県民に負担をかけず、米軍の軍事戦略的展開にも支障をきたさないためには、中京地区以西の候補地を早急に決める必要がある。おそらくどこの府県も反対することは確実、しかしここが政治主導を標榜する現政権の手腕の見せ所。後世に悔いを残すような最悪のシナリオだけは画かないよう願ってやまない。 2009年 11月 29日
日本と欧米の寄付や募金に対する認識の差、いわゆる文化の違い、これは昔から言われていること。アメリカのロックフェラーは石油事業で財を築き、引退後はロックフェラー財団を組織して、教育・学術・慈善などの公共団体に多額の寄付をした。オードリー・ヘップバーンはベルギーの貧しい家の生まれだが、大いなる努力の結果、世界的な大女優として名をなした。その後はオードリー・ヘップバーン子ども基金を設立、ユニセフと協力して、「すべての子どもたちに学校を」を提唱。この支援のための合同事業は彼女の死後も続けられている。生前は特にアフリカへ、よく足を運んだといわれている。
日本に寄付や募金で、こうした人達に引けを取らない方もいるにはいるが、総体的には意識の低さは免れられない。今、政治資金問題で話題になっている鳩山首相、実母はタイヤメーカー「ブリッジストン」創業者の長女(同社の大株主でもある)、この実母の資産は鳩山家の資産管理会社「六幸商会」が管理している。これだけの大富豪であれば、すでに慈善事業などにも多額の寄付はしていると思うのだが。首相が「友愛精神」を信条とするのならば、その支援活動も国民に知らしめたらよいのではないか。 多額の資産を有する政治家たちのなかでも、その額で群を抜く鳩山首相は、政治資金疑惑を国民にどう説明しようとしているのか。「友愛精神」・「格差是正」などいかにも庶民の味方に立っての耳さわりの良い言葉だが、池田元首相の「貧乏人は麦飯を食え」に奮起し、歯を食いしばって自力更生に励み、白米の飯が食えるようになった世代(もちろんこの時代と現代の間には政治・経済などの背景差はある)には、現首相の発言は「お坊ちゃまのたわごと」にしか聞こえてこない。 すべての面で活力を失っている日本、これを取り戻すためには「仲良しクラブ」の発想から抜け出し、首相自ら国民が努力し、競い合うことの大切さをもっと語ってほしい。 2009年 11月 25日
これまでのブログ投稿の中でも、戦争の悲惨さ、平和の大切さを語ってきました。これ等の殆どは自身の体験したことを基に、書き綴ってきたものです。このことがあって、今は世界の恵まれない子どもたちの支援活動を続けています。
今回はN紙あすへの話題の「日本の平和貢献」を読み、この記事に感ずるものがあり、これを掲載させてもらいました。 1990~91年の湾岸危機を契機にわが国としても国際的な平和活動に人的貢献をする必要が認識され、政府は、自民・公明・民社3党合意の下で国連の平和維持活動(PKO)等に協力するための法案を提出した。社会・共産両党は強くはんたいしたが、「国際平和協力法」は自公民の賛成で成立した。日本はこの法律の下で92年アンゴラとカンボジアで、翌年モザンピークでPKOに参加し、遅まきながらPKO協力を開始した。国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)は、自衛隊、警察官、選挙要員等を含む日本初の本格的PKOだった。 UNTACは明石康国連代表の下で、ポルポト派の停戦違反等に手を焼いた。その中で93年春、国連ボランティアの中田厚仁さん、次いで高田晴行警視が殉職し、4人の警察官が重傷を負った。国内は撤退の大合唱となったが、政府は踏みとどまった。PKO事務局長の私(現国際海洋法裁判所判事 柳井俊二氏)は、事件直後41人の選挙要員の意思確認をした。危険な現地情勢でも、脱落者が出なかったことに感動した。こうしてUNTACは、カンボジアの政権議会選挙を成功させ、同国再生の道を開いた。明石代表は、その時「晴れ着きて投じる票に込める思いは」という一句を詠んだ。 PKOへの日本人参加数は現在39名、世界第84位と非常に低調だ。テロ、海賊等の対策で日本の人的貢献は多様化したが、最近は内向きの風潮が強い。平和貢献論が始まって来年で20年になる。国際平和に貢献することは、紛争地域の人々を助けるのみならず、日本の生存に不可欠な国際平和を確保し、日本の安全保障に資する。「情けは人のためならず」だ。日本の平和貢献を再活性化する時期が来た。 2009年 11月 19日
◎鳩山政権不信も底流に
「友愛精神」、「コンクリートから人へ」、「格差是正」など耳さわりの良い言葉が、首相や各閣僚の口から次々と発せられている。だが言葉の羅列だけでは世界の厳しい経済状況のなか、日本経済の建て直しが本当にできるのだろうか? N新聞掲載記事を紹介することにする。 日本株が世界の株価回復から立ち遅れているのは企業の増資ラッシュだけが理由ではない。円高に弱い経済構造と鳩山政権への不安。底流にあるのは世界の投資マネーが抱く日本に対する不信感だ それは資金の流れに表れている。世界の投資信託の資金の動向を調べる米EPFRグローバルによれば、今年は日本を除くアジア株に164億ドルが流入したが、日本株は51億ドルの流出。年初来高値を連日更新する米英市場に対し、日経平均は総選挙前の8月につけた年初来高値をいまだに抜くことができず、8月高値から9%下落している。 「日本経済の回復の弱さに落胆している」(香港のHSBCグローバル・インベストメント)。 中国や韓国の鉱工業生産がリーマン・ショック直前の水準を超えてきたのに対し、日本は8割の水準にとどまる。内需に頼れない日本の企業収益は、円高と過剰設備にあしをとられたまま。大型増資に市場が身構えるのも、成長資金の取り込みというよりも、まず傷んだ財務の修復ありきと見透かしているからにほかならない。 鳩山政権への市場の不安は日増しに高まっている。日本の成長シナリオを明確に示せないまま、雇用対策や環境対策など「財源なき負担増」の話ばかりが前面に出てきているからだ。 郵政民営化の急速な揺り戻しや、ギクシャクする日米関係を心配する投資家は多い。 「新・衰退国」。外国人投資家の間では、デフレ色が強まる日本経済をこう切り捨てるムードさえ漂う。長期金利も財政悪化と景気の二番底懸念の間で振れる。閉塞感を打開できずにいる現状に、市場は警鐘を鳴らしている。 2009年 10月 23日
先の総選挙で鳩山民主党は盛り沢山の約束手形を発行した。国民はこれまでの自民党の何回も裏書された手形よりも、こちらの方が不渡りのリスクが少ないと判断、結果は民主党が圧勝し300を超える議席を獲得した。
政権獲得後はじめての概略予算要求が出されたが、過去最大の95兆円余が示された。しかもこの額のほかに「隠れ予算」が数多く盛り込まれているとか? 政治家がばら撒き、財政規律は財務省任せー。 長く続いたそんな構造を変えられるのか。 政治主導を掲げる鳩山政権は年末にかけて正念場を迎える。 予算編成と共に外交・防衛問題も重要な課題である。「何のために太平洋を越えてきたのか」、ゲーツ国防長官はそんな思いで帰国したのではないかと思う。この報告を受け11月にはオバマ大統領が訪日するが、どれだけの話し合いと合意ができるのか。前政権からの継続性を主張するアメリカ、来年の沖縄県知事選と当該市長選で、民意を再確認したいと先送りを決め込む新政権、その先にどんな妙案があると言うのだろう。 首相はアメリカ留学中に、アメフットのクオーターバックをやった経験があるので、チームコントロール術には長けているとメディアも取り上げる。でもそれは愛好会で多少経験した程度、とかく就任当初はどんなことにもご祝儀の華がそえられる。外交デビューで、耳さわりの良いプレゼンテーションにも拍手がおきる。 だがご祝儀相場もここまで、宋の俎公と言う人が猿に「トチの実」を朝に三つ暮れに四つ与えたら、大いに怒ったので、朝に四つ暮れに三つにしたら、大いに喜んだと言う諺がある。でも有権者の目はそんなに甘くはない。猿はだませても人間をだましおおせることはできない。両足をしっかりと大地に踏み込んで、これからの日本を導いてもらいたい。 2009年 10月 01日
「後期高齢者」のネーミングに対し、異議を唱える人達が沢山出てきている。誰しも自分に残された貴重な余生、その集大成の時期を実年齢によって、一方的・かつ画一的に区分されることには反発を感じるものだ。まして社会全体が「元気で長生き」が合言葉になっている時だけに、対象者にとっては「まだまだこれからだ」と思っている矢先、十派一からげ的な年代区分に、ブーイングが出るのも当たり前である。
こちらは40代半ばに、「老後への助走」に関するテーマに興味をもち、そのことの勉強もしてきた。そして定年退職後に企業人間から地域社会へ、どうやって上手に溶け込むかを、それなりに考え準備をしてきた。それには先ずは死ぬほど好きな趣味を持つこと、これを地域社会で生かす方法をみつける。 そこでいくつかある中で選んだのがラグビー、幸い地元少年ラグビーチームは指導者も少なく、このお手伝いができる機会が早速やって来た。40から50代にかけて、休日に子どもたちと楕円のボールを追いかけ、楽しい時間を過ごすことで、大いに気分転換を図ることもでき、これが仕事の面でも随分とプラスになった。 子どもたちを指導するノウハウを、この時に多少なりとも身につけたお陰で、定年退職後には、小学生を対象にした課外学習の講師を引き受けることになり、今でも「国際理解教室」のテーマで子どもたちと向き合っている。 「老後への助走」に始まり、「ゴールラインへ向かって完走」を日頃から考えてきた甲斐があって、そのプランは順調に進行中である。自画自賛と言われそうだが、これが元気で長生きできるエネルギーを、私に与えてくれる最適な方法と信じている。 それは4年毎に開催されるラグビーワールドカップ観戦旅行であり、2003年オーストラリア、2007年フランス大会でその楽しさを充分に味わってきた。観戦中の臨場感はもとより、大会期間を通じて世界のラグビーファンとの出会いがあり、言葉では言い表すことのできない友情と感動を与えてくれる。 2011年ニュジーランド大会、2015年イギリス大会は前回、前々回と同様に現地へ行って存分に楽しみたいと思っている。そして「2019年日本での開催決定」、夢にまで見た自国での応援観戦は、正に「第4コーナーからの完走」をやってのけるのには、最も相応しい最高の舞台装置でもある。日本代表チームの活躍を大いに期待している 2009年 09月 05日
先の総選挙で各党は独自のマニフェストを掲げ、勢いよく熱心に選挙戦を戦った。
今回は国民の大多数が政権交代を望み、その結果は民主党が308議席を獲得、政権交代を現実のものとした。先ずはその悲願達成に拍手を送りたい。 早速連立政権発足に向け、社民党・国民新党との政権運営協議を始めた。だが特に外交・安全保障・消費税などの点について、選挙中に強調していた、この三党公約の違いをどう調整するのか、新たな問題が浮上しはじめている。理想と現実の狭間で、その政権の舵取りは難しいだろうが、選挙中に提出したマニフェストはきちんと守ってもらわねば困る。 一方大敗を喫した自民党も総裁選出で、党内には様々な意見が出て、「反転攻勢の足掛かりにする」とのシナリオを危ぶむ声も聞こえてくる。一致団結し次回の選挙で新生自民党の再起を図る気概が見えてこない。長年ぬるま湯につかりきっていた体質は、直ぐには変えられないと見える。 さきのブログで引力の小さい月面を歩く人の姿に似て、今の日本の政治家の誰もが「ふわー」としていて、足腰の定まらぬ人間ばかりと評したが、このままでは日本の将来は本当に大丈夫なのか? 暫らくは政権引継ぎの仕事で、民主党幹部は多忙だろうが、この間にも初当選をした大量の新議員教育を徹底的に行い、法案採決のための投票マシンの役割だけで、貴重な議席を占めることのないように願っている。 蛇足ながら目は口ほどに物を言うというが、今の政治家を見渡したところ、目が綺麗に澄み渡り、しかもその奥に鋭い光を放つ人物はあまり見かけない。だが全くいない訳ではない。民主党の前原誠司副代表、自民党の石原伸晃副幹事長などは嘘をつけない目をしている。年齢的にも今が旬の二人、今後の日本を託して見てはと思っている。 2009年 08月 19日
学生時代陸上競技部に所属していたが、時間を見つけてはラグビー部の連中に楕円球のパスやキックの手ほどきを受けていました。会社勤めをするようになり暫らくして、本格的にラグビーに魅せられ、草ラグビーとは言え地域のクラブで、随分と熱心に練習に励んだものです。
そのうちに、このチームの人達が少年ラグビーの指導もするようになり、それで私も指導者としての講習を受けました。そんな訳で休日には子どもたちと楕円球を追いかけることになり、50歳半ばまでの15年間は指導書や練習日誌を携えて、休日の殆どを子どもたちと一緒に過ごすようになりました。 選手としてはさしたる成果は出せませんでしたが、少年たちの指導者としては自分なりに、納得の行く結果を挙げることができたと思っています。 私の指導する岬ラグビースクール5年チームが、府下で最強を誇る大阪ラグビースクールと初めて対戦したのが、この子たちがこれまでの5年間の好成績で、ようやく自信が持てるようになった頃。だが相手の中に際立ったプレーをする選手が一人いて、特にトライを取る嗅覚は天才的ものがあり、結局は6年生までの2年間、彼をマークしきれなかったことで、最終的には1勝2敗の成績でした。この3試合のビデオは今も時々見ています。 この選手こそがこの10年間、日本代表のウイングとして世界のピッチを駆け回り、多くのラグビーファンを熱狂させてくれた大畑選手なのです。子どもたちの対戦相手の選手としての出会いだけでしたが、いつの頃からか彼の大ファンとなっていきました。 こんな訳で2003年のオーストラリア大会の観戦に出かけ、対スコットランドと対フランス戦の2試合をタウンズビルのファーマースタジアムで応援、彼をはじめ日本代表選手の活躍を目の前で見ることができ、本当に至福の8日間をオーストラリアで過ごすことができました。 2007年のフランス大会も観戦に行きましたが、大会前の練習で彼が怪我をしたため戦線から離脱、その疾風のようなトライを見ることができず残念でした。でもウエールズ戦では小野沢選手の華麗なるトライ、フィジー戦の大西選手の同点ペナルティキックなどは見事でした。 次の2011年ニュージーランド大会では、その8年後の2019年に開催される日本大会をより盛り上げるためにも、日本代表には是非予選リーグで2勝はしてもらいたいものです。カーワンジャパンに期待すると共に、大畑選手のカムバックを願うラグビーファンです。 2009年 07月 18日
40年前の1969年、アメリカのアポロ11号が月面着陸に成功。アームストロング船長が地球に送ってきた第一声は「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類=mankindにとっては大きな飛躍の第一歩である。」であった。
この時期は米ソ冷戦構造が世界を二分していた時代、軍事力の増強が何にも増して優先された。男性が社会をリードするのが当たり前で、言葉も昔ながらのchairman=議長、policeman=警官、fireman=消防士など、男性が担うべき職業の名称は当然のように[man=男」のつく表現が大部分を占めていた。 あれから約半世紀、mankindはhumankind、policemanはpolice officer、chairmanは chairperson、firemanはfirefighterなどが通常用語として使われることが多くなった。これは近年、女性の社会進出が際立ってきたことを物語っている。IT化時代の幕開けから全盛期に至る過程で、女性の潜在能力が大きく引き出された結果とも言える。 このように女性の発言力や行動力が重みを増しつつある一方で、我国の男性の発言力や行動力が、月での重力と同じくらいに軽くなってきていることである。首相を初め、各野党代表者、その下で政治に携わる国会議員、彼らの仕事ぶりは足腰の定まらぬ月面歩行そのもの。日本の将来を任せられる知識・見識・胆力の備わった政治家が一日も早く出てくることを、鶴首の思いで待ち望むところである。 |

